ノアの三沢選手は
とても受け身がうまく、
そして、
試合のときは、
常に相手の渾身の技を
“受け止め”ながら
試合を作っていける選手であった・・・
という内容のコメントを、何人かの選手がしていました。
プロレスの試合の中での攻防のみならず・・・
“受ける“ということは、
本当に実力のある人だからこそできること、
そして、
少なくとも自分のためだけではない
どういう形や意図であれ、
誰かのためにという意識が、少しでもあればこそ
出来ることなのかなあと思います。
プロレスで言うならば、おそらく…
敢えて“受ける“ことで、
その上で、さらなる勝負をすることで、
見ている人を引き込み、魅了し、
そして、
“受ける“ことによって、相手の力を引き出し、
時には、相手を育てるということもあったのかもしれません。
相撲で横綱が胸を貸すというのも、そういうことなのかもしれません。
試合のみならず、
いろいろな面で、いろいろな事を
“受け続けてきた”三沢選手だからこそ
多くの人が悲しみ、惜しんでいるのではと感じました。